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とある準決勝の判定

はじめに
試合に負けて泣いたことはあっても、人の試合を見て涙が出そうになったのは初めてでした。

2016年ディベート甲子園高校準決勝、肯定側:鎌倉学園 対 否定側:筑波大学附属駒場 の試合はそれほどに熱く、そして感動的な試合でした。私と同じか、それよりはるかに長くディベートをやっているメンバーの中にもあの試合に心震えた人が何人もいたようでした。議論水準の高さもさることながら、一言一言から滲み出る深い準備、そしてスピーチから漂うディベートをいっぱいに楽しんでいる様子が伝わってきたことが、私たちの中にも流れる選手としての血を刺激したのではないでしょうか。

さて、エモーショナルな話はここまでにしておき、今回の記事では今大会屈指の名試合であった準決勝について、「「もしも私が審判に入っていたとすれば」」こういう判定をしたであろうという判定内容と、想定されうる判定のバリエーション、そのバリエーションを制御するためにありえた議論展開などを検討します。なかなか検証しやすい文字媒体で審判の投票内容が公表されることは少ないですし、多くの方の批判的検討の素材を提供できればというのが狙いとなります。動画も後日公開予定との噂ですので、そういう意味でも検証可能な内容になる予定です。批判的検証の場ですので、質問・意見などぜひコメントいただければ嬉しいです。また、国民投票論題全体については、秋JDAも踏まえて(これでBIだったら泣く)色々と考察できればと思いますので、今回は試合にフォーカスした内容になることを断っておきます。

スピーチについて
この試合は議論水準もさることながら、スピーチ面でも非常にレベルの高い内容でした。すべてのスピーチに共通するポイントとして、自分たちの議論の説明が非常に丁寧であったことが挙げられます。相手の論理の流れに乗りつつ鋭く疑問を差し込む質疑、議論の前提を明らかにしながら物量を出せる第一反駁、そして互いのストーリーを整理し切る第二反駁、どのパートもハイレベルでした。スピーチ個別の感想などは動画が出てから追記できればと思っています(さすがに記憶が薄れている部分もあるので)。ハイレベルなスピーチの応酬の中でも特に出色だったのは肯定側第一反駁で、ディベート甲子園の限界、あるいは人間の限界に肉薄したスピーチでありました。最低限触れつつメリットを生き残らせる判断と華麗なブロック、ポイントを絞りつつも的確に相手の要所に反駁を打つアタックの技術含め、私がディベート甲子園でこれまで見た中でも最高峰の第一反駁でした。

投票の概要について
実際の試合では4-1で肯定側の勝利ということですが、私が投票するなら否定側に投票します。各サイドの評価については後ほど詳述するとして、まず概要を示すと、肯定側のメリットはある程度発生自体は評価できるものの、否定側の「民意反映は直接すれば良いものではない」という重要性への攻撃と、否定側がデメリットで主張する専門知(官僚・政治家)が民意より優れているという主張をとって否定側という内容です。講評を聞く限り肯定側に投票したジャッジはデメリットの固有性と発生過程を切って肯定側に投票していたようで、自分もその投票理由に乗るか、それともデメリットを拾うか、悩むところだなと思います。実際、私もこの固有性の部分をどう評価するかで最後まで悩みました。以下、メリット・デメリットの詳細に踏み込んで検討します。

メリットについて
立論についてのコメント
現状では選挙制度由来の問題によって国政と民意に乖離がある場合があり、それをプランによって補正していくというメリットで、内容はシンプルだったかと思います。極めてオーソドックスかつ、丁寧に証明された立論でありました。内因性・解決性・重要性においてそれぞれ一筋縄ではいかない工夫が見られ、高い戦略性とストーリーのわかりやすさを兼ね備えた内容でした。

内因性では専門家特有のミスについての考察があり、専門家は専門家であるがゆえに視野狭窄に陥る場合があることが述べられており、これはデメリットの固有性対策として機能すると同時に、内因性である住民と政治のズレが望ましくないものであるという構造を示す役割をもつ攻防一体の内容で、判定する上でも重要な機能を果たしています。

解決性では1)のコンセンサス形成について、エビデンス外の部分で豊富な表現を用いて、国民投票を通じた合意形成の内容が表現されていました。このあたりはスイスの直接民主制での実例や、日本の住民投票の実例など、もう少しエビデンスによる補強も欲しかったところですが、なかなか難しいものなのかもしれません。この解決性はおそらくデメリットへの攻撃などでも使う予定だったのだと推察していましたが、否定側第一反駁の猛攻もあり、再構成でもあまり触れられていませんでした。察するに肯定側の戦略の一つとしてここでデメリットの無知な国民による投票という筋を切りに行く予定だったものの、反駁を受けて再構成するのが難しいことから断念したという形ではないでしょうか(これが正しければ、否定側第一反駁は良い仕事をしていたことにもなります)。

重要性では国民自身が学習することによって成長していくことが大切という、シンプルながら肯定側のストーリーに沿った内容です。関東決勝で見たときには単純に国民が決めることが大切というところで止まってしまっていたところが、もう一歩議論を育ててきたなという印象でした。ただ、解決性自体がそこまで国民自身が学習したり考えたりできるという内容だったかというと少し弱い面もあり、額面通りにとるにはちょっと厳しいかも、というのが感想です。また、肯定側第一反駁で「国民はよくわからないと思ったら保守的に投票する」という内容を読んでいたりするのを聞くと、そんな消極的な投票をする人たちが一つ一つの結果を受けて学習するのだろうか、という疑問も持ちました。このあたり、反駁での主張と合わせても整合的な議論を心がければもっと良い議論展開となったところです。

反駁を受けた後の評価
・内因性
内因性についてのアタックは、専門家の判断と民意の間にズレが生じているのはデメリットで論じたような専門性の発露であって、問題とは言えないという趣旨でした。これについては否定側の考え方に即して考えれば妥当な話であるものの、デメリットの特に固有性を前提とした話となります。このため、単体でメリットを大きく削るというよりは、デメリットの発生を前提としたときにどう考えるべきかという内容として機能しており、単体でメリットを削るような反駁としては機能していないことになります。

・解決性
解決性について多数のアタックがありましたが、概ね以下の4つに集約されます。
1)国民に情報が提供されても、発議から投票までの時間が短く、時間的制約から学習することができない
2)仮にある程度時間があったとしても、国民は日々の生活が忙しく知識を得ようとしない
3)プランを取ると国民全体が一つの方向にまとまるというよりは、意見の近しい人同士でまとまるという集団分極化が起こる
4)間違った情報やデマが出回り、国民には正しい意思決定が行いにくい
上記4つはいずれも筋の良い反駁であり、圧力としてもなかなかのものでした。しかしながら一つ一つの反駁の結果として、メリットがどう変わるのかというポイントが今ひとつ見えづらく、また否定側第二反駁などでも補足や再構成がないことから、一定の解決性が認められる形となっています。この点については先に触れた肯定側第一反駁が良い仕事をしており、個別の論点に最低限触れながら、自分たちの立論が致命的に崩されていないことを示していたのも良いところでした。特に出色の伸ばし方だったのは、1−3があくまで「国民が理解できるか」という話に終止しており、肯定側のメリットの裏のストーリーである、「国民投票による否決を恐れて、国会議員の側が国民投票がなくても行動を変える」というところを伸ばしていたポイントです。これによって、多少解決性が削られても、今よりも国民の意向にそった形でメリットが発生するということは確実に言える状態になっています。

さて、この解決性のアタックが生かし切れなかったというのが今回メリットが残った大きな要因ですが、否定側はこれについて対応する手段がなかったのでしょうか?実はこの試合の第一反駁の材料をきれいに構成しなおせば、肯定側の解決性を大きく削る、あるいはほとんど発生しない状態にできたのではないかというのが私の見解です。そもそも肯定側が真に重要性を達成するためには、1)国民が自らの意思で投票を行い 2)投票の結果からくる影響を受け入れ 3)次の投票に生かしていく というステップが必要なはずです。しかし否定側第一反駁を活用すれば、次のようなストーリーを描くことができました。仮にプランを導入した場合、国民の大多数は時間的制約から学びもせず投票を行い(肯定側第一反駁のデメリットへのアタック、国民はわからなければとりあえず現状維持を選ぶというところも、テーマについて能動的に学ぶ国民像からかけ離れていることも指摘できるでしょう)、一部の学んだ上で投票しようとする国民ですら、近しい人とばかり議論をして二極化してしまうか、せいぜいがデマに流されてしまう程度の投票にしかならない。とすれば、肯定側の主張するような国民自身の主体的な意思が発露され、その結果を受けて国民も学び・洗練されていくというステップはほとんど発生する見込みがなく、そのときどきの気まぐれな意思が表出される程度でしかない(また、その程度の国民を政府が警戒する理由がないので、政府も政策を変えるインセンティブにならない)と主張しておけば、確かに不満のガス抜き程度にはなるかもしれないが、それ以上の良さは見込みにくいな、というところまでメリットを減じられたのではないでしょうか。とはいえ、これだけではもちろんメリットが評価されることが考えられますから、否定側第一反駁の段階からあと一歩致命的な反駁を加えられていればより良い反駁であったということは否めません。このあたりは前に書いた「反駁のインパクト」から考えようという私の前稿にも繋がってくる話です。

・重要性
重要性では主だった反駁として、民意は直接反映するのではなく、ある程度合理的な解釈を加えて反映すべきだという主張がなされていました。これもデメリットのストーリーが成り立てば非常に良い反駁である一方、デメリットがなくなれば効果の薄い反駁ということで、これ単体でメリットをどうこうするという形にはなっていません。

・まとめ
まとめて見ると、全体としてアタックは受けているものの、メリット自体は生き残っているという評価となります。ただし内因性および重要性の関係で、プランで達成される現象が、現状の議会政治と比較して良いか悪いかというのは、デメリットの判断(特に固有性あたりの専門家(政治家・官僚)と一般市民の比較)の結果を待たねばなりません。肯定側のメリットが一定のアタックを受けることを前提として、おそらく伸ばし方まで含めて丁寧に構成されていたところに対して、否定側第一反駁が切り込みきれなかったというのが概略でしょうか。

否定側第一反駁の改善点としては、やはり反駁でも大きなストーリーを1つか2つほど作り、それが成り立てば単独でも相手のメリットを潰せる・ターンできるというところまで反駁をつめきるべきだっということにつきます。一定以上レベルの高い試合では、多少攻撃した程度では互いの議論は切れないようになってくるからこそ、ポイントを絞り、重層的に反駁することで相手の議論を破壊することが重要になってきます。

逆に肯定側としては、デメリットが発生すればメリットはあまり評価できないという反駁を内因性・重要性で返しきれていない点で課題があります。これは反駁や反証が足りないというよりは、メリットの重要性の段階から、もう一歩「なぜ国民が自分で決めなくてはならないのか」という点についての考察が必要だったのではないでしょうか。民主主義を前提にするのではなく、なぜ民主主義でなくてはならないのか、国民主権でなければならないのか、そういう点についてさらに説明が欲しいところでした(難しいのはわかるのですが)。


デメリットについて
立論についてのコメント
A)知識に基づいて重要かつ専門的な政策を一貫して行える B)福祉と税制といったパッケージ政策を行える というのが現行制度の良さであって、それが国民投票によって失われてしまうというのが大まかなストーリーでした。Aをサポートする事例としてイタリアの原子力政策がエネルギー事情を無視した国民投票によって度重なる変更を強いられた事例、Bをサポートする事例としてカリフォルニアの大胆な減税を決定した国民投票によって行政サービスの質が悪化した事例が挙げられています。使用されているエビデンスや事例は広く知られているものでありつつ、その事例も含めたストーリー全体が非常に見やすくまとまっており、わかりやすい立論であったと思います。

特に工夫が見られたポイントは深刻性でした。深刻性の主張としては、「国民主権という時の国民の射程は、今そこにいる有権者だけではなく、将来世代や少数者なども含んだものであるべき」というもので、これは単純な多数決の結果を民意とみなす肯定側と対照をなしています。そういった意味では良い事例である一方で、固有性や発生過程の文脈にぴったりあっているかというとやや疑問が残ります。というのも、AやBのストーリーはどちらかといえば専門的な見地や視点に立って物事を判断していかないとミスをするという話で、深刻性のいう多様な国民への配慮というのは、おそらくその意思決定の中で重視されているということは一定の想像がつくものの、そこまで丁寧に立論で説明されているわけではないからです。そういった意味でいうと、否定側立論の深刻性として真に適切だったのは、否定側第一反駁の重要性へのアタック、「民意は直接反映するのではなく、ある程度合理的な解釈を加えて反映すべきだ」というのが適切ではなかったか、という感もあります。

反駁を受けた後の評価
・固有性
固有性の議論が最大の焦点であり、またこの試合の判定を分けたポイントでもありました。肯定側は2つのエビデンスを用いて「官僚・政治家にも固有に間違えるリスクがあり、国民とどちらがマシか比較することはできない」という主張を行っていました。これを肯定側の額面通りにとれば、デメリットはプラン前後の差がわからないというところで肯定側に投票できます。

この論点について、私の判断は肯定側の主張する専門家の間違いというエビデンスが、否定側の固有性のエビデンスを上回っておらず、固有性が残るというものです。理由として、肯定側が挙げた1つ目のエビデンスは、あくまで政治家に官僚から渡るエビデンスが官僚の認識に沿った内容だというだけで、官僚自体が間違えるということは述べていないこと、2つ目のエビデンスも官僚が間違えるということを前提として健康被害などに触れているだけで、やはり理由の部分はわかりません。また内因性の視野狭窄にしても、特定の判断にこだわる可能性があるというだけで、それが一般国民に比べて間違っているという話ではありません、
それに対して否定側は、業界団体や専門知識などが活用できることや、財源と支出の関係など専門的知識を活用して政策パッケージが組まれていることが説明されており、専門性の有する利点が一定の理由付けで述べられているということから、私は国民の判断よりは現状の制度の判断の方がマシだと判断しています。

このポイントは勝負の分かれ目でもありますから、肯定側・否定側それぞれの視点に立ってどのような方法がありえたかを検討してみましょう。
まず肯定側は、もう少し強烈なエビデンスを持ってきたかった、ということにつきます。例えば官僚や政党の持つネットワークが疲弊していて昔ほど良い判断ができなくなっているとか、あるいは官僚制度は実はローテーションが多く専門知識が蓄積されない構造になっているといった官僚制度の限界を指摘することもできたでしょう。また、政治家が特定の利益団体に配慮しすぎて非合理的な判断を行っているとか、票を取るために財源の根拠のないバラマキ政策をすでにやっているとか、色々と出せるものはあったのではないでしょうか。否定側第一反駁にも通じるところですが、極まった勝負になればなるほど、反駁は論点を幅広くさらうよりも、致命的に相手の議論を崩すような破壊力が求められるようになります。結果的に勝利を得ているのですから今回の肯定側第一反駁は一定の成果をあげていますが、より完璧を目指すのであれば勝負所の固有性についてはより良いエビデンスを使うべきでした。また、肯定側第二反駁でも、専門家と国民の間に差分がないことを前提に全てを進めていましたが、このポイントについてはエビデンス同士の比較を丁寧に行った上で、判定のブレをなくすべきでした。例えば、まず内因性のエビデンスを伸ばして、専門家の特質として自身が正しいと思うことを特に批判的検証をせずに思い込んでしまうこと、そして似たような意見を持つ専門家を集めて検証を行うので誤りが補正されず(反駁1枚目)、結果として実被害も起きている(反駁2枚目)といった具合に固有性が完全に切れていることをアピールして欲しかったです。このようなアピールがあった場合、ジャッジも根拠なしにそれを拒否することは難しくなりますし、私も固有性を切る判断をしていたと思います。

否定側では、特に否定側第二反駁において、このポイントが「差分がある」の一言で次に行ってしまっていたのが残念なポイントでした。ここは自分たちの主張に立ち返って、実は相手の反駁には理由付けが欠けていること、それに対して自分たちの理由付け(知識がある、中長期的な政策を一貫して決められる、政策どうしの相互作用も含めたパッケージ化ができる)といった点がなんら削られておらず、やはり専門家に任せた方が良いのだという点は必ず強調して欲しかったところです。実際、このディベートでは両サイドともこのポイントを不明瞭にしたままディベートが終わってしまったためにジャッジがそれぞれの判定を出していますが、ここが一番判定を悩ませるポイントで、介入の余地があるポイントだったと思います。第二反駁は自分たちのストーリーを語ることが重要であることはもちろんですが、ジャッジの介入余地が高い論点について自分たちに有利な結論を確定させることも大切です。この辺りは試合経験や勝負勘、そしてそこに乗る度胸がものをいう場面でもありますので、自分たちで実際に判定を出してみたり、ジャッジにどのポイントで悩んだか常に確認し、先回りして言及できるように準備することが必要です。

・発生過程
まず発生過程全体に関係する反駁としてあった、「国民は「わからないな」と思ったら保守的な投票を行う」という主張を検討しましょう。私の判定は、そういう傾向もあるが、否定側の主張するようなリスクも否定しきれていないというものですが、ジャッジによってはここでデメリットを大きく切ったジャッジもいたようです。この点については、否定側からはこの事例で主張されている「国民が結果をわかっていると感じている」状態と、否定側の求める「政策の影響を考えて投票する」ことの間に乖離があることが指摘できたでしょう。つまり、例えば減税ということを考えた時、肯定側のいう「わかっている」状態とはせいぜいが「この国民投票を行うと消費税が下がる」といったことを予測しているということであり、逆に否定側の求める水準とは「消費税が下がった結果、行政サービス低下などの揺り戻しがある」というもので、そこまで考えた時に「保守的な国民の判断」というのがどこまで行われるかはわからないといえるでしょう。さらに言えば、Bの発生過程で述べられたカリフォルニアの事例の「国民は減税の決定をした際サービス低下をわかっていなかった」というエビデンスもそのまま残っているわけですから、この辺りを伸ばして事例付きでこのエビデンスを返すことができたでしょう。

次にイタリアの事例について検討します。ここについて肯定側の反駁は、イタリアの国民投票は首尾一貫した国民の意見発露の結果であるというものでした。これは肯定側のエビデンスの質が良く、国民がつどつど適当な判断をしてしまうという否定側のストーリーは厳しいかな、というのが私の判断です。肯定側はここにもう少しエビデンスを追加して、実はイタリアは政府側が国民を無視しておりかつ無茶な原子力政策を推し進めていたが、それを止めることができた、というところまで持って来れば致命的に否定側のストーリーを切ることができましたが、これはエビデンス次第というところです。否定側第二反駁はこの事例をもって、国民は繰り返し誤った決断をしてしまうという風に伸ばしていて、専門家の意思決定の正しさを信じる(固有性にのる)のる判断をしている私にはわかりやすく好感が持て、国民が間違った政策を首尾一貫して支持してしまうことはありそうだ、というくらいには評価しています。

最後にカリフォルニアの事例について検討しましょう。肯定側からは30年後の世論調査を用いて、今でも減税法案が支持されているから問題ないという反駁がされていました。ここについても、否定側第二反駁からなかなか強力な反駁がなく、大きく評価するのが難しいなぁ、というところです。実はこの事例についても、もう少し否定側は再構成のやりようがあったように思えます。そもそも否定側の主張というのは、政策の良い影響と副作用をはっきり認識して意思決定するのが大事という話で、実際にカリフォルニアの例も本来意図していない行政サービス悪化が招かれてしまったことが問題だとが主張されていました。この点について肯定側の反駁を検討すると、反駁は「今でも減税法案が住民から支持されている」ということであって、住民の判断が行政サービスの悪化などの副作用を正しく認識した上のものかは全く不明です。さらに言えば、否定側第一反駁が主張した通り、国民というのは結局学ばず、デマに騙されるのですから、30年後の住民が減税の結果を理解した上でアンケートに回答しているとは考えづらく、むしろ国民は過去にあった判断の誤りも忘れて減税を支持し続けていると評価させることもできたのではないでしょうか。

実際の試合では肯定側の3つの反駁がかなりワークしてデメリットを削っていますが、やりよう次第ではもう少しデメリットを残せたのではないかというのが所感です。とはいえ2分間という短い準備時間でこれだけの内容を思いつき実行するのは困難ですから、そういう意味で肯定側第一反駁が機能してるともいえますし、否定側は相手の反駁まで見越したデメリットの残し方については検討の余地があったところです。

・深刻性
ここは反駁もなく、特に矛盾するような議論も提出されていないので、バランスよく考えられる今のシステムの良さもあるという程度の評価です。また、私は否定側第一反駁の民意反映のあり方も実質的な否定側のデメリットの深刻性、あるいはメリットのとの比較基準としても評価できると考えています。

・まとめ
私の判定では、固有性は一定程度認められ、挙げられた事例もそのまま評価できるほど強くはないものの、国民投票が望ましくない結果を招くことは一定程度考えらえるため、専門家の判断に任せるというところに一定の合理性はあるだろう、という評価です。実際の試合では固有性および発生過程への反駁が有効に決まり、かなりのジャッジがデメリットを切っているようですが、上記で見た通り、再構成のやりようによってはデメリットを強く残すことも可能であったろうというのが私見です。

判定
メリットの評価で述べた通り、プラン後は一定の民意反映が達成されるだろうと考えています。一方、これは否定側の第二反駁が再三にわたって主張したとおり、それによって国民が学習していくのでデメリットは小さくなっていく、という評価には無理があります。また、私は固有性について否定側よりの評価を置いているので、プラン後どこまでひどいことが起こるかは確証が持てない部分があるものの、国民が自分で決めるよりは、専門家(官僚・政治家)が決める方が、客観的に見て良い決定ができるのだろうなと考えています。では両者をどう比較するかですが、私はここで否定側第一反駁の「民意を反映することはもちろん大事だが、そのまま反映させるのではなく、本人のためになるように調整して反映するのが大事」という重要性への反駁を評価しています。つまり、肯定側のいう民意の反映の大切さには一定の理解はおくものの、否定側からは明確に民意の反映を過剰に優先することは危険だという主張がされており、民意のオルタナティヴとして専門家による判断というより良い代案が提案されている以上、あえて国民の意見を今以上に反映させる理由が不明なので否定側に投票する、という結論となります。冒頭にも書いた通り一番悩んだのは固有性をどう評価するかで、ここを肯定側よりに評価するという前提をおけば肯定側に投票します。

総評
色々と批判的な内容を書きましたが、両チームともレベルが高く、実際に自分が選手として指摘したようなポイントをやれと言われると正直怪しいかも、というところではあります。本当に素晴らしい試合をありがとうございました。それから、これだけ素晴らしい試合をする皆さんと、ぜひ、今度は試合相手として戦いたいものですね!

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